議長による「事実概要」草案
2週間の準備委員会も終盤を迎えた。閉会1日前の10日木曜の昼、ヴィーナネン議長から「事実概要」草案(Draft Factual Summary)が提示され、急ぎ各国の検討に付された。
草案は16ページ、122項目にわたる。「事実概要」の名前が示すように、NPT3本柱のすべてにわたって会期中に行われた議論を総括したもので、各国間に意見の相違がある問題については、いわゆる「両論併記」の形をとっている。
これに対し、同日午後のセッション、そして翌最終日の午前のセッションを通じ、延べ69カ国が見解を述べた。多くの国が、全体としてバランスが取れていると評価するとともに、総括文書をまとめることの困難さに理解を示して、議長の真摯な努力に謝意を述べた。しかし、ほとんどの国が大小さまざまな追加・修正提案に言及した。中でも、とりわけ激しい反発を示したのがロシア、イラン、中国、シリアである。ザポリージャ原発、NATO核共有、イラン核合意、AUKUS、福島「処理水」問題など会期中に争点となった問題を繰り返し取り上げ、「事実概要」草案が事実という名にふさわしくなく、西側諸国の視点に偏っているといった不満を述べた。
そもそも「事実概要」の位置づけであるが、形としては「コンセンサス(全会一致)」が目指されるものの、過去の準備委員会においてそうした合意文書が作られたことは一度もない。そこで、あくまで議長個人の責任の下でまとめた「作業文書」として公式記録に残し、次回以降の会議に送る、というやり方が慣例化している。
今回も当然その方向で進むことを、議長も、またほとんどの国も想定していたに違いない。
「勧告」と「報告書」
ここで最終日前日の晩に議長が提示した、さらなる2つの文書について説明したい。一つは、「2026年NPT再検討会議に向けた第2回準備委員会において重点的に議論されうる分野についての第1回準備委員会議長による勧告」(以下、「勧告」)と題された文書である。6ページ、20項目にわたる勧告は、次回準備委員会に向けて議論の継続性を強化し、より効果的な議論を行うことで各国が共通基盤を見出すことができるよう、議長個人の裁量で重要と思われる論点をまとめたものである。以下のテーマが挙げられている。
・核軍縮の履行に向けた説明責任と透明性
・安全保障ドクトリンにおける核兵器の役割の低減
・非核兵器地帯の文脈を含めた消極的安全保証
・いかなる核兵器の使用も防止する措置
・被害者援助と環境修復に向けた措置を含め、核兵器使用の人道上の結末
・保障措置
・輸出管理
・非核兵器地帯
・SDGsと2015年パリ協定の達成に向けた原子力に関する科学・技術の平和利用
・武力紛争における原子力安全とセキュリティ
・再検討プロセスのさらなる強化
もう一つの文書は、「第1回準備委員会報告書」草案(以下「報告書」)である。これは会議の議事進行や参加国一覧など事務事項についてまとめたものであり、議論の実質的内容に関するものではない。最終日に全会一致で採択することが求められている。
「事実概要」を削除
午前セッションの終盤に入り、「事実概要」草案への各国の意見が出尽くすと、ヴィーナネン議長はコンセンサスの達成が不可能であることを宣言し、同文書は議長の責任でまとめた作業文書とする旨を告げた。
続いて議論は「報告書」へと移った。冒頭から一段落ごとに議長が読み上げ、事実関係の正確さを確認しながら採択していくやり方が慣例であるが、この段階でイランやロシアが異を唱えた。「報告書」には「文書」のセクションがあり、作業文書を含め会期中に出されたすべての公式文書が一覧になっているが、そのリストから「事実概要」を削除するよう求めたのである。
いくつかの国はあきれたような口ぶりで反論を試みたが、溝は埋まらないまま午前セッションは終了した。
午後セッション開始時間の15時になっても、会議は始まらなかった。会議場の中央通路には議長と多くの国の外交官が集まり、あわただしく状況説明を受けているようであった。そして20分過ぎ、議事を再開した議長は「後ほど説明する」と短く述べた後に、冒頭から一段落ごとの「報告」の採択を開始した。そして件の「文書」セクションに差し掛かると、各国との協議を踏まえ、「事実概要」作業文書を削除する決定をしたと告げた。また「勧告」は、「議長によるReflection(振り返り)」と名を変えて作業文書として残すと説明した。
この判断によって、「事実概要」は国連の公式の記録に残らないことになった。リストの中身で揉め、事務事項に関する「報告書」さえ採択できないという最悪のシナリオを避けるための苦肉の策であった。議長の権限にて議長個人の名の下に作られた文書が、一部の国の反対によって「存在を消される」という未曽有の事態に、いくつもの国が非難の声を上げた。まさに、第1回準備委員会を通して噴出し続けた各国間の分断と対立を象徴する出来事と言えるだろう。
閉会の辞の中で、ヴィーナネン議長は無念さをにじませながらも、各国の努力を称賛し、あわせて2026年の成功に向け、各国それぞれの、とりわけ5核兵器国の責任を強調した。16時、議長が静かに閉会を告げると、会場からは議長をねぎらうような大きな拍手が続いた。
(中村桂子)